泉佐野の商店街
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佐野トピックス

佐野の豪商 食野・唐金といろは蔵

佐野の豪商「食野家」「唐金家」「矢倉家」を、はじめ佐野の商人は瀬戸内沿岸や、遠くは東北地方との交易をしていました。

 江戸時代の佐野浦は、廻船業や漁業の発展が著しく、和泉国の内でも一番の活況をみせていました。1699年(元禄12)300石以上の船が 88隻もあったと言います。

 漁業でも、西は、対馬、五島列島に、東は、関東沖まで進出し佐野網といわれる、すぐれた漁法を伝えました。

食野家跡の松
(第一小学校)



食野宅跡 碑

食野家(めしのけ)

 江戸時代、佐野を本拠地に大富豪となった廻船問屋の一族です。本家の幼名は佐太郎、次郎左衛門を襲名。分家は、吉左衛門を名乗る。室町時代中頃には、すでに佐野に住んでいたと言い、楠木氏の子孫だと「食野家系譜」に書かれている。

 当時の倉庫の「蔵」は、「いろは蔵」と言われて、48蔵もあった。食野の廻船は、西回りの航路が開かれて「北前船」をあやつり、天下の台所「大坂」と奥羽地方と結びます。大坂からは、木綿、綿実、や菜種油。北国からは、米、ニシン、ほしか(干鰯)などを商い、往復で巨財を築いていきます。

1761年(宝暦11)江戸の中期には、鴻池、三井、加島屋などの大富豪と並んで同額の御用金を受け、1806年(文化3)には、三井と共に本家が3万石。分家が、1万石の買米を命じられています。

  紀州藩や岸和田藩は勿論、全国の大名に資金を用立てていました。「加賀の銭屋か和泉のメシか」と言われるほどでした。参勤交代には必ず、紀州の殿様が「食野家」に立寄ったと言われます。

ざれ唄に、次のようにあります。
   「紀州の殿様なんで佐野こわい、佐野の食野に借りがある」

 幕末には、廻船業がふるわなくなり、そして、明治時代の廃藩置県で大名貸しした貸し金が殆ど貸し倒れとなり、一気に没落してしまいます。
 今は、屋敷跡は第一小学校で、松ノ木と井戸枠が残され、海岸筋にはいろは48蔵と言われた倉庫群は、10蔵ほどが残され、その賑わった佐野の面影を残します。



いろは蔵
廻船業などで賑わった
佐野の面影を残します。

唐金家(からかねけ)

 なぜ、この「唐金家」が有名なのでしょう?豪商だったからだけではありません。かの有名な井原西鶴の「日本永代蔵」にでてきます。

日本一の大型船「神通丸(3,700石積)」を所有して縦横に商いを繰り広げていたといいます。(廻船問屋)ときどき「食野家」と混同されるのは、姻戚関係にあり、しかも、同じ佐野で、全国に同じ展開をしていたからでしょう。

井原西鶴 (ユネスコの世界偉人登録)

日本永代蔵 <全六巻>
巻一  <目次をご紹介しておきます>
一、初午は、乗て来る仕合 江戸にかくれなき俄分限、泉州水間寺利生の銭
二、二代目に破る扇の風 京にかくれなき始末男、壱歩拾ふて家乱す倅子
三、浪風静に神通丸 和泉にかくれなき商人、北濱に箒の神をまつる女
四、昔は掛等今は當座銀 江戸にかくれなき出見せ、壱寸四方も商賣の種
五、世の欲の入札に仕合 南都にかくれなき松屋の跡式、後家は女の鑑となる宿

<本文の冒頭部分を以下に、ご紹介しておきましょう>

巻一の三、浪風静に神通丸
和泉にかくれなき商人、北濱に箒の神をまつる女
諸大名には、いかなる種を、前生に蒔給へる事にぞ有りける。
万事の自由を見し時は、目前の佛といふて又外になし。
・・・(中略)・・・
大人小人の違ひ格別、世界は廣し。
近代泉州に唐かね屋とて、金銀に有徳なる人出来ぬ。
世わたる大船をつくりて、其名を神通丸とて、
三千七百石つみても足かろく、北國の海を自在に乗りて、
難波の入湊に八木の商賣をして、次第に家栄へけるは、
諸事につきて、其身調義のよきゆへぞかし。
惣じて、北濱の米市は、日本第一の津なればこそ、
一刻の間に、五萬貫目のたてり商も有事なり。・・(後略)

<注記>
神通丸:
  泉佐野市の豪家唐金屋庄三郎の持船「大通丸」をもじったもの。
北濱:
  大阪の米市は、北浜4丁目の淀屋橋界隈にあった。
箒の神:
  富を得た後も、昔を忘れぬために、
  筒落米を掃き寄せるしべ箒を神として祭った後家の話。
八木の商賣:
  米の商い(八木は、米の分字)
調義:
  やりくり、駆引き たてり商:立会い、米市の相場取引を言う

<補注>
唐金屋は、泉州日根郡佐野村の船問屋で、 同じ佐野の「和泉長者」と呼ばれた「食(めし)」一族である。 その祖先は、本姓森本氏泉州沢村の出身で、佐野村に来住した。

<参考文献>
日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留
  野間光辰 校注・・岩波書店

※食(めしの)家と唐金屋の関係は、江戸時代以来「唐金屋」と「食」とを混同し、食は唐金屋の異名のように  伝えられてきたが、詳しくは、以下を参照ください。

◆佐野史談会発行の食野家関係史料三冊
◆泉佐野市史