蟻通神社の名前の由来ともなった伝説です。
昔々、唐の国の大帝が、日本をかすめ取ろうと難題を仕掛けてきます。
その一つに次のものがあります。
問、七曲りにくねった小さな管玉に、糸を通せ!
時の帝は、知恵者を呼びますが、答えが出ません。
これらの難問に誰も答えることができずに、困りはてていると、
ある中将が、答えを差し出します。
すると、見事に答えているではありませんか。
喜んだ帝が、ほうびを授けようと希望を聞くと、
「 何もいりません。
ただ、この答えは、私でなく、両親が考えたものです。
どうか、老人たちの命を助けて欲しい」と申します。
(この頃、帝の命で、うば捨て話のように、老人を殺して捨てる、
棄老が行われていました。)
親思いの息子が、帝の命にそむいて、年老いた両親を、
ひそかにかくまっていたのでした。
この年寄りの知恵で、日本が救われたと言うことです。
これ以来、帝は、老人の大切さを知り、政治を改め、
人々を大いに喜ばせます。
やがて、中将の親を神として祭り、
蟻通明神と名づけて奉ったということです。
クイズの答:
この両親の知恵で解けた、その答えとは、
「七曲の玉」の穴の片方に、「ミツ」つけて、
もう一方の穴から「蟻」に糸をくくり、進ませます。
「ミツ」を、目指して歩き出す蟻は、とうとう七曲をぬけてしまいます。
こうして、糸を「七曲の管玉」に通すことができたのです。
ななわだに曲がれる玉の緒をぬきて
ありどおしとも知らずやあらむ